大学に行く意味
三行早見
- 社会的地位を得られる
- スキルが得られる
- 価値観を醸成できる
大学に行く意味って何なのでしょう?
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
「いい高校入って、いい大学入って、いい会社に入るためよ」
ステレオタイプ的にはこんな感じですけど、到底納得できませんよね。
私はずっと、大学に行く意味=研究者になることと考えていました。
しかし、研究挫折でその意味が脆くも崩れ去りました。
研究者バイアスを外して改めて考えた、大学に行く意味とは一体何なのか。
キーワードは、社会的地位、スキル、価値観の醸成、の3つです。
社会的地位を得られる
大学では、卒業時はもちろん、在学中も社会的地位を得られます。
まず、大学を卒業すると、大卒資格を得られます。
これは、状態というより、資格としての機能を有します。
資格ですから、例えば就職の際に自分が高卒や専門学校卒で、大卒に募集がかかったらその時点でアウトです。
イメージしやすくすると、運転免許を持っていないのに、タクシードライバーにはなれませんよね?
そのようなレベルの強力な資格として、大卒というものは、主に就職の選抜時に機能しています。
また、大学生である時も、「大学生」という立派な社会的地位を与えられています。
大学という環境で4年間、働かずに勉学やサークル活動をして過ごせるという特権。
高度な知の集大成である、授業や研究や論文にアクセスできる特権。
周りの施設を利用しようとするときに、学生として優遇してもらえる特権。
税制上の優遇措置。
意外と、大学生という状態は特権だらけなんです。
さて、これらの地位だけだとつまらないですが、大学ではさらにスキルを手にすることができます。
スキルが得られる
大学ではスキルが得られます。
スキル。この言葉はふわっとしているので、定義してみましょう。
「仕事に役に立つ能力」とでもしましょう。
例えば、英語を使う機会に恵まれて、就職に必要なTOEICスコアや、仕事に必要な英語運用能力を得られる。
授業を通じて、プレゼンテーション能力や、コミュニケーション能力を得られる。
各種免許、例えば教員免許や学芸員資格を得られる。
あるいは、生物学や化学など、将来の仕事に関する基礎知識と技術を得られる。
そしてもっと顕著な例は、医師免許や獣医師免許など、特定の高いステータスの仕事に直結する免許や資格を得られる。
このように、大学では選択次第で、幅広いスキルを得ることができます。
さて、ここまでだと「役に立つ」という話ばかりで、なんだか寂しい。
続いては、もっとソフトな話題。価値観の醸成です。
価値観を醸成できる
大学では、自身の価値観を醸成できます。
まず、大学では沢山のことを学びます。
それは哲学などのみならず、自然科学、言語、人間関係など様々です。
その学んだものを、自分の頭の中で反芻し、自分の価値観に落とし込んでいくことができます。
例えば、私は大学で生物学を専攻していました。
そのおかげで、自分の行動の一つ一つに、生物学的な背景を考慮した上での理由づけができるようになりました。
そして、大学では、沢山の異なる人々の、独自の価値観に触れられます。
生まれも育ちも全く違う人々が、一堂に会している場が大学です。
そりゃあ、自分が持ってきた価値観とは、全然違うものが無数にありますよね。
それらに触れて、時に衝突しながら、自分の価値観を変容させていくことができます。
自分の価値観の中で未熟な部分を変えて、優れた部分は残し、大切な部分を守る。
そうやって、自分自身の価値観を形成していく場が、大学なのだと思います。
そのように醸成された価値観は、今後の人生を生きていく指針として、人生の宝になるでしょう。
まとめ
大学では、社会的地位とスキルを得られ、価値観を醸成できます。
単なる「将来いい会社に入る」以上の大きな意味が、そこにはあるのです。
私個人としては、価値観の醸成こそが、大学でモラトリアムを与えられている意味なのだと思います。
個々人が様々な経験をしながら、自分の生き方を見出す場。
それが、大学なのではないでしょうか。
まあ、私は大学を卒業してからも、いまだに生き方に迷っていますけどね(笑)